テクノロジーは苦しいを楽しいに変えるのか?

【学びのまとめ】

テクノロジーは人間の代替はできない、補完するだけ
テクノジーが人を超えるときは、倫理観を超えたとき
しかし、人は倫理観を超えたとき規制をし、バランスをとる。
ex 原子爆弾

すでにインターネットに優位性はない。
インターネット以外に優位性があり、差別化がある。
インターネットは、既にだれでも、いつでも、どこでもできる。
そうではない時間や根気、体力がいるところに結局競争はある。

人は常に不変である。
飯を食い、恋をして、寝る。
その不変な行為に対して、テクノロジーは、
マイナスをゼロにするか、プラスをさらにプラスにするしかない。
欲求、不満があるから人は技術を進化させる。
より便利な未来、不快のない社会を目指すからこそである。

しかし、人の価値観は変化する。
価値観は多様化する。
価値は貨幣ではない領域に変わりつつある。
それはなにか?まだ誰にもわからない。


【勝手な気付き】

いるものといらないものを分類する。
いるものをさらに分類する。
分類した先にサービスを提供する。
今世の中の価値は最大化されてサービスはある。
しかし、必要な人に届いてはいない。
その人を見つけるっていうのが仕事ではないのかなぁ。
いってしまえば、すべての人を理解することが理想である。

全ての人がわかってしまえば世の中に溢れる商品を見つけ出し届けるだけ。それが難しいから仕事なんだろう。w


【結論】
テクノロジーは苦しいを楽しいには変えてくれているし、変えてはくれるけど、結局苦しいと思われる部分は人に残るのだと思う。

これからさきにある営業の仕事では自分の優位性を生み出せるように考えて行動しよう。それが自分自身の世の中の苦しいを楽しいに変えるために必要である。


こういった勉強をすると苦しいことほど価値があるように思えてきて仕方がない。
その苦しいを楽しいに変えることほど楽しいことはないと考えてしまう。